
もうすぐ、中等4年生の至大荘行事。そこで今回はかつて飛び込みがあった頃の至大荘と九段についてのお話です。
少し長いので、2回に分けて掲載することにいたします。
その前に、学校群制度について少々説明しておかなければなりません。
都立高校の入学試験は戦後、学区を一つの枠として行われていました。
学区内に住む中学生は学区内の都立高校しか受験できないという制度でした。
学区の中でも特に旧制中学から新制高校になった都立高校の人気は高く入試も激烈なものになりました。そこで東京都は特定の都立高校だけに生徒が集中するのを避けるため、学校群制度を取り入れます。
九段が属していた第一学区では、一つの群が2〜3校の都立高校から構成される第11群から15群及び91群に分けられ、中学生は群ごとに選抜試験を受け、群ごとに合格しましたが、群を構成するどこの高校に進学するかは合格発表まで分からないようになっていました。
九段は当時、三田高校・日比谷高校とともに第1学区で最も人気が高く各中学のトップクラスの子供たちが受験する第11群を構成していました。
ですから、この群制当時の入学者は九段を志望して入学してきた他の時期の生徒とは少し違います。群制の仕組み自体が生徒には説明されておらず、偶然九段高校が母校になり、入学してから母校の魅力を感じるようになった生徒も多いのです。
今回は群制初期に九段に入学してきたお一人が初めて九段の良さを実感した過程を話してくれます。
さて、細かな説明はこれくらいにして、物語のはじまり、はじまり
先日十何年かぶりに高校のクラブの集まりがありました。
久しぶりに会う先輩や同期の面々と昔話に花が咲きあっという間の3時間でした。そして2次会、私たちの回はとても仲が良く、卒業してからも何回か会っては遊んだりしていました。
高校1年の至大荘の話題になり、今ここにいる皆がその出来事の現場にいた奴等だったと気がつき、あぁそうだったなぁと懐かしくとてもくすぐったい感慨にふけった私でした。
当時、私の中学校は今で言う学校崩壊の始まりの様な状況で、中3でありながら授業中後ろの机をくっつけてトランプをしていたり、漫画を読んでいたり、給食の時間はバターやパン、牛乳が飛び交う喧嘩の絶えない中学校でした。悪い仲間と一緒にビンタをくらったり、よく職員室の前で正座させられたりもしました。
当然ガリ勉君やいい子ちゃんぶったりしていると、イジメ(当時の言葉でリンチ)の対象となったのです。つまり先生も生徒も暴力が支配しているような場でありました。
この中学に入学した時からまあなんとか頑張って家の近くだから14群の小山台高校(14群は田園調布高校と小山台高校で構成されていました)に行かれたらいいなぁと漠然と思っていました。
さて受験の時期になり、担任が「熊崎、14群志望という事だが内申がギリギリだがひとつ上の11群を受けてみないか?お前なら大丈夫だろう!八ッ八ッ八ッまあ入っても学校でビリだろうけどな!」
変な笑みを浮かべて言いました。
親は喜びましたが、安全策にやや偏差値の低い私立を受けました。
「11群かぁ、やっぱり近くだから三田高校がいいなぁ」
「日比谷も名前がうれてる名門だからなぁ」
勝手に受験前は考えて九段は全く眼中にありませんでした。
そして受験当日。受験場所は九段高校でした。1回も行ったことが無かったので
「家から早くても1時間近くかかる、電車は混むし、なんて遠いんだ!」
電車が遅れたために息を切らしながら飯田橋駅からの坂をダッシュしました。
遅刻しそうになりながら試験を受けました。
発表の日、番号を見つけた私は合格の嬉しさよりも気持ちが微妙でした。
「えっ九段高校?」
たしか発表は九段高校だったと思います。想定外でした。
通い始めるとさらに苦痛を実感します。特に御茶ノ水から飯田橋駅で降りる時カバンが人ごみから抜けず、ひっぱりだしていような有様の総武線のラッシュは、毎日のように閉口しました。
試験前なんかとてもまとめに目を通しているスペースなんかありません!
追い討ちをかけるように、勉強についていくのが精一杯!
(なんで皆、クラブもキッチリ出て映画も見て余裕で遊んでいるのに勉強ができるんだろう????)
不思議でした。
1学期を終わって成績は案の定最低ラインで、中学であれほど得意だった数学も大熊先生の乱数表を使った(次に何が出るか予測ができない)小テストに打ちのめされました。なんと2!
夏休み中に呼び出しをくらいました。
そして、夏の至大荘。
泳ぐのは苦手ではなかったのではっきり言って楽しみでした。
1つの班が15分と短い入浴時間、蒸し暑いのに熱いほうじ茶の食事や狭い部屋に押し込められ、外に赤いスイコンをなびかせながらの共同生活もクラスに一体感を与えてくれました。
大遠泳もそうですが印象深かったのは崖からの飛び込みです。
次々と飛び込まなくてはならないので何十人もが崖に這い蹲るように列を作って待っています。
狭い飛び込み台になる岩場のスペースには飛び込む前に被る海水を汲んだバケツがひとつ、下まで5mくらいだったでしょうか、下も狭い岩場に波が打ち寄せたり引いたりしています。周りでは何人かのOBや監視員が船にのって補助に待機しています。
「いいか、手はグーにして、耳の横に腕をつけて頭から飛び込むんだぞ!」
女子は殆どが足から飛び込んでいましたが、男子でそれをやると根性無しと言われていました。
そろそろ私の番です、その時2,3人前の女子が飛び込む姿勢をとったのですが、怖くなって顔を両手で抑えしゃがみこんでしまいました。
さすがK瓜先生です、ノータイムでその女子の背中を蹴り、突き落としました。
さて私の番です、頭から水を被り崖からのダイブ岩場に立ちました。
下にはサポートのOBや先生が4,5人、やや遠くに船があり、すでに背中から落ちたのか背を真っ赤にして乗っている人がいました。
タイミングは波が来る瞬間です。
放物線を描いて飛んではあぶないと思ったので、なるべくすぐ頭を下げ、飛び出しました。耳に腕をつけた状態で岩場が目の前をあっという間に通り過ぎ、泡だらけの海中でした。
さわやかないい経験でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・
(続く)