
第一東京市立中学校、都立九段高校で長年英語を教えられていた清成 孝先生が3月25日夜、お亡くなりになりました。3月31日のご葬儀では高校4回生の服部嘉夫さんが弔辞を読まれました。その弔辞をご紹介します。
つつしんで清成孝先生の霊にお別れのことばを申しあげます。
都立九段高校4回の卒業生が、毎年行っている至高会に昨年9月車椅子でお越し下され、私達にお元気でご挨拶下さいましたのに、この度の突然の訃報は、信じられない気持ちで一杯です。
その後、お電話を頂き、平成10年5月よりご転居された11階のご自分の居間から取った富士山の写真を大きく引き伸ばし、額に入れてあるから取りに来なさいとのことでした。私がご無沙汰をし、先生から直接に戴けなくなったのが残念で申し訳なく思っています。先生は、明治44年(1911年)2月、熊本県八代でお生まれになり、東京高等師範をご卒業後、昭和7年第一東京市立中学(現都立九段高校)に英語の教師として奉職以来29年の永い間同じ学校で教鞭を執ってこられました。戦時中、大久保のご自宅は戦火にあい学校の剣道場の師範室に仮住まいしていました。昭和24年の暮、戸山アパートに入居。沢山の書籍を四階まで運び上げるのを私達数名の生徒がお手伝いしたのを覚えております。
その後、昭和36年4月都立北多摩高校の校長になられ、昭和41年には引き続き都立田園調布高校の校長もお務めになられました。
定年退職後も尚かつ英語教育発展のため旺文社等で、ご活躍されておりました。永きに亘るご功績により。昭和57年勲四等瑞宝章を授与されました。先生は物静かな温厚なお人柄で読書、クラシック音楽鑑賞をご趣味としており余暇を作って植物園、動物園、行楽地へ自然を求めての写真撮影がお好きでした。その後長年のご心労を癒すべく悠々自適の日々を過ごされておられましたが、平成4年残念ながら最愛の貞子奥様がご逝去され、お寂しい日々でした。しかし次女の克子様が身の廻りのお世話され、ご長女の照子様のお子様3人姉妹と曾孫5人に恵まれ、この5月には6人目の曾孫誕生を楽しみにしていた矢先のことでした。
晩年は、ご健康に留意され中学12回卒の春山広臣先生の病院がお家の近くあるので良く診察していただいていていましたが、2月末に体調をくずしご入院されました。どうしても家に帰ってしたい事があると言って3月3日ご退院、去る3月25日夜11時55分ご家族の皆様に見守られ静かに天寿を全うされたと伺いました。
先生の長いご生涯を語ることはつきませんが心から先生のご冥福をお祈りしてお別れしたいと存じます。
清成先生さようならどうぞ安らかにお眠りください。合掌