
教育、学校という言葉を最初につくったのが孟子です。孟子は君子の楽しみは3つあると申し、3つ目に、立派な青年を集めてそれを教育できる喜びを挙げています。「教育」の文字は、「教」むちで打って子供に習わせる、「育」母親のいつくしみの愛情から出来ています。では学校には厳しい先生と優しい先生がいればいいか。子供は勝手に好きな方を選択してしまいます。一人の人間の中に父親本来の厳しさと母親本来の優しさの両面を持っていなければ教育は出来ません。
よく、しつけ教育といいます。本来的な「しつけ」は「苗代から田に苗を植えかえること」です。苗代にはびっちりと種をまく。しつけは、東西南北に間隔をとって、2、3本苗を束ねて適正に植え付ける。これによって苗は分岐し増え大きく成長する。しつけ教育とは基本的なことをきちんと教えることによって、後で子供が自分の力で育っていく教育です。
孟子は、誰も本来的に良心、良知、良能を持って生まれる、生まれたときは殆ど差が無いと申しています。しかしその後の教育によって、「人の道あるや、飽食暖衣、逸居して教え無ければ、則ち禽獣に近し」―腹いっぱい食べて、上等の衣服を着て、のほほんと過ごして、そして教育をされなければ、そういう者は動物と同じだ、という訳です。まさに日本のある部分に当てはまっているのではないでしょうか。
「導きて牽かず」−指導はするけれども無理には引っぱらない、「強めしめて抑えず」−激励はするけれども抑えつけない、「開きて達せしめず」−歩いて行く道を開きはするけれども最後まで連れては行かない。その子供の良いところを養い、伸ばしていくところに教育の本質があるのです。
では、どのような人物となるように教育したいか。「大丈夫、浩然の気」―浩然の気とは、至大至剛、この上も無く大きく、この上も無く剛いもののことです。至大荘や各寮の名を見れば、成田校長、その志を引き継いだ四宮校長ら先生の集団が、至大至剛の大丈夫を養いたいという気を強く持っておられたのではないか。夏の至大荘3週間、冬は10日間、こんな長くやる学校は他にありません。そういう学校で教育を受けた我々は誠に幸せでした。